2017年7月22日 (土)

ルバーブのケーキとジャム

 群馬の家の庭で収穫したルバーブを持ち帰って1.5kgをジャムにし、残りでケーキを焼いた。ルバーブは地面からフキのように茎、葉を伸ばし、茎を食べる。かなり酸っぱくて、砂糖と合わせないと食べられない。
 ジャムには2cm長さに切り、重さの45%の砂糖を入れて煮た。ケーキはアーモンド粉入りのビスケット生地の上に、コロコロサイズにカットしたルバーブに砂糖をまぶしたものを広げ、バター、砂糖、粉などをサラサラと混ぜ合わせたクランブルを一面にのせて焼く。バターの風味とルバーブの甘酸っぱさがおいしい。焼きっぱなしの素朴なお菓子だが、類似の市販品を見たことがないので〝価値あり〟と気をよくしている。

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2017年7月19日 (水)

カフェで打上げ

 「瞼の母」の公演が終わって、スタッフとの打上げとは別に、WATER FLOWの藤田さんと、光が丘のカフェ・チャイハナにて乾杯。公演を見に来てくださったマスターの吉村さんご夫妻から「きれいに乗せられて、感動しました」と嬉しいご感想をいただいた。(写真はカフェに飾られていた百合)

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戯曲として書かれた長谷川伸の名作「瞼の母」。名台詞の多いおはまと忠太郎のハイライトシーンは原作のまま、その二人のやりとりが際立つようにと、おとら、お登世の言動に今回脚色を加えた。忠太郎と三人の女性のからみを楽しんでいただけたとしたら幸いである。江戸時代の物語だが、現代にも形を変えて無数のおはま、忠太郎がいるだろう。いや、精子提供、代理母、赤ちゃんポストなど、親子の絆はもっと複雑化していることと思いを馳せている。

2017年7月17日 (月)

初めて採れたプラム

   連休中、久しぶりに群馬の家にやって来た。暑さと闘いながら、伸び放題の雑草と格闘している。うれしい発見は、ふと見上げた木にプラムの実が成っていたこと。3メートルを越す大木に育っているのに、これまで果実はついぞ見たことがなかったのは、タイミングがわるかったせいだろうか。脚立に乗って、しっかり色づいたものを6個収穫! 味も市販品に引けをとらないおいしさだった。0717

2017年7月14日 (金)

公演無事終了

 昨日、今日と「瞼の母」の公演本番。お蔭様で無事に終了しました。お暑い中、見に来てくださいました皆様、本当にありがとうございました!

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講談師・神田織音さん、藤田恵子さん(水熊のおはま)、楽師の木村俊介さんと稲葉美和さん、杉山快俊くん(番場の忠太郎)、小野里桃子さん(おはまの娘お登世)に囲まれて。

2017年7月12日 (水)

業界用語の一日

 今日は〝小屋入り〟(公演をする劇場に入る初日)。そして〝場当たり〟〝ゲネプロ〟と業界用語の続くスケジュールだった。
 まず会場づくり。舞台監督さんのチームがステージをこしらえ、置く位置を確かめて〝ばみる〟(テープで床に印をつける)。照明さんはライトを〝仕込む〟。
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 〝場当たり〟では、出演者の出ハケ、動きを確かめ、道具の出し入れ、場面転換の際の照明を確定していく。明るさを85%にするか80%にするかと試したり、演者の立ち位置を一歩前か半歩前かと試したり、演出家さんの厳しい目が光る。写真は照明さんのコントロール室。
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 そして最後に、本番通りに〝ゲネプロ〟を行った。うれしいことにすべて順調に進み、明日の本番に備えて早めに解散~!

2017年7月11日 (火)

講談師の席

 「瞼の母」の最後の稽古日。4月の桜の頃から、真夏日の7月まで、ほぼ週に2度のペースでコンスタントに練習を重ねてきた。仕上げの今日は、講談師さん、楽師さんを交えてのフルコースを舞台監督の原田さんが確認、明日から3日間の時間割もアナウンスされた。
 今日初めて見たのが、神田織音さんに持って来てもらった講談の釈台。折り畳み式で思っていたより小ぶりで、A4の台本を広げるといっぱいだ。
0711 「講談師さんの語る日本語は、物語を俯瞰していて、どこかユーモラスな響きがあっていいですね」と演出家。朗読劇と講談とのコラボレーション、お楽しみに~

2017年7月10日 (月)

懐かしのレコード

 たまにはこんな話題。故障していたオーディオのCDプレイヤーを、昨日ついに新製品と取り替えた。夫がケーブルのつなぎ替え作業をする間、辺りの掃除かたがた、LPレコードに手が伸びた。写真は、ハーブ・アルパートの「Rise」と、オスカー・ピーターソン・トリオの「We Get Requests」。いずれも80年代にさしかかった頃、入手したものだ。買った店や初めて聴いたときの心境まで思い出す。ジャケットから取り出し、ターンテーブルにセットしてそっと針をのせる一連の動作も含めて、あれは濃い、深い、いい時間だった。

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 今週は後半に「瞼の母」の本番である。公演が無事にすんだら、まずこのLPの2枚を聴こう♪

2017年7月 6日 (木)

演出家の代読

 「瞼の母」の本番まであと一週間、稽古も大詰め。忠太郎役の杉山君は演出の山下さんから「真面目なだけでは聞き手は共感しない。この人ほっとけないと思わせるような、隙を出してみて」と高度なリクエストを受けていた。
 音楽・講談なしの稽古は今日が最後である。これまで新内と語りの部分は代りに山下さんが、あるときは哀しく、あるときは超迫力の口調で読み上げてくださっていたが、それももううかがえないかと思うと、ちょっとさびしい。

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 チケットは、13日の16時、19時の回のお席にゆとりがあります。

2017年7月 3日 (月)

長谷川伸と忠太郎

 7月に入り、「瞼の母」の公演まであと10日となった。今日の練習には、照明の末永秀敏さんが同席され、出演者の位置、動線などを確認し、ライトの当て方を演出家と打ち合わせ。いつどんな明るさになるのか、これは練習の段階では体験できない。本番の会場で初めてわかることなので、今からドキドキする。
 写真の本は、忠太郎役の杉山快俊君が今日持っていたもの。読んで研究しているらしい。左は「瞼の母」の原作本、右は映画評論家の佐藤忠男著『長谷川伸論―義理人情とは何か』
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 忠太郎は苦労人。人の痛みがわかり、弱い者を放ってはおけない。一人でぐっとこらえて、その自分を笑ったりする。きっと長谷川伸の分身なのだ。
長谷川伸 1884(明治17)~1963(昭和38)
3歳のとき母と生別。家が破産して一家離散し、小学校を中退、出前の小僧や土方、石工など辛酸をなめる。20歳で新聞社に入社、かたわら創作をはじめ、「夜もすがら検校」で認められる。以来、文筆に専念、「沓掛時次郎」「一本刀土俵入」などの戯曲や、「紅蝙蝠」などで豊かな大衆文芸の世界を生みだした。「瞼の母」は昭和5年作。昭和8年、47年ぶりに生母と再会。その後、作者によって上演を禁じられていたが、母の死後、禁止を解いた。

2017年7月 1日 (土)

戦時下の教育と現代と

 練馬区光が丘図書館で吉村文成氏の講演会があった。大津の国民学校の生徒が描いた絵日誌をもとにした吉村文成著『戦争の時代の子どもたち』をテーマに、図書館利用者の会が主催したもの(6月3日のこの欄でも紹介)。
 カフェ・チャイハナのマスター吉村さん(元朝日新聞記者、龍谷大学国際文化学部教授)にはカフェでよくお目にかかるが、講演をうかがったのは初めてだった。
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 スクリーンで、明るくのびのびした絵日記を8つの技法(対比と描き分け、吹き出し、省略と強調など)ごとに紹介し、その〝自由さ〟が、子守や手伝いで忙しいから手抜きを工夫してのことだったという分析が面白い。そして矢嶋正信校長の「土に親しむ教育」、西川綾子教諭の「この子たちに文化を与えたい、そういう文化がないなら自分たちで文化をつくっていくしかない、そう思って絵日記を描くことを思いつきました」があってこその作品だったという講演内容に、なるほどと感じ入った。
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 さらに講演のエピローグが印象深かった。…教育とは国の未来をつくっていくこと。明治維新(開国)から国民国家の形成のために天皇制教育(忠孝の教育)が行われ、73年後太平洋戦争に突入。敗戦後は民主主義を実践する国民をめざして民主主義教育(平等、公平)が行われ、72年経った。そして今世の中は大変化、私たちはどこにいるのだろう。多数決を重視し、大勢の支持があるからいいじゃないかという。そのもとに〝考える〟個人があるか。臆病なほどに〝考えていく〟ことが大切。矢嶋校長の記した「一人の人間にとって信実なるもの、それは考えることである」が、今あらたに光る。

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