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2017年9月

2017年9月30日 (土)

待望のハンチャー公会堂

 アイオワシティの変貌は、単に30年の年月の所為だけではなかった。2008年、市内を蛇行するアイオワ川が氾濫し、多くの住宅や、ハンチャー公会堂をはじめ、キャンパスの一部を台無しにしたのである。人々は、より高い位置に引越し、高層住宅というものが出現し、大学の建物は想定外に次々と建て替えられた。
 ハンチャー公会堂は30年前、私が最も好きな場所だった。人口5万の地方都市にクラシック、ジャズ、オペラ、バレエなどの大物アーティストが次々にやってきて、手の届くチケット代で鑑賞することができたのだ。中でもオスカー・ピーターソンのピアノは忘れられない。その公会堂が使えなくなって、人々はどれほど再建を切望していたことだろう。寄付を募り、素晴らしい設計の建物(写真下)がオープンしたのはつい昨年のこと。寄付者として壁に名前の刻まれた夫の恩師が、今回私たちの滞在中にイベントに誘ってくださった。
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 パフォーマンスは、カナダの男女7人のグループによるもので、音楽に合わせた大道芸や空中ブランコ、サーカスが披露され、ラストのトランポリンを使ったダイナミックなジャンプはまさに圧巻! 実に楽しいひとときだった。開演前のロビー(写真下)は社交の場でもある。こういった豊かさを共有する施設がアイオワシティにあることを誇らしく思った。

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 ブログには記していないが、今回の旅で旧知の友人、知人16人と会って話をすることができた(私の英語はあやしいものだが、この街の人の英語は訛りなく聞き取りやすい)。80歳近くになっておられた方も多かったが、皆さんお元気で活動的だった。その生き方を見聞きできて、ほんとうに幸せな5日間だった。

2017年9月29日 (金)

古き良きアイオワ

 市街地を一歩出ると、アイオワは肥沃な穀倉地帯である。とうもろこし、大豆の畑が続くこの風景が好きだ。昔と変わっていない。
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 レンタカーを利用して、アイオワシティから西へ30分、カローナ(Kalona)に足を伸ばした。ここではアーミッシュ(キリスト教の一派)の人々が電気や自動車など現代文明を拒んで質素な暮らしをしている。主な車道には電柱、電線が通っているが、そこから離れた住宅までは繋がっていない。地道を車で走ると砂埃で車体が真っ白になる。その道を、人や荷物を乗せたバギーの轍を残して、馬が通って行く。
09292  観光客の訪れる中心部はきれいに舗装され、照明も電気が使われていた。カローナは〝Quilt Capital of Iowa〟としても知られ、キルトの作品や材料を扱う店が多く、見て歩くと楽しい。地面の石畳にもタイルでキルトのパターンが紹介されている。
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 下の写真は、後日アイオワを発った時、飛行機から見下ろして撮ったもの。アイオワの大地が、まるでパッチワークの模様のようだった。
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2017年9月27日 (水)

大学と病院の町アイオワシティ

 アイオワ州には1980年代に、大学の研究員だった夫と共に2年半暮らした。今回33年ぶりに訪れたら、あまりに変貌していて新しいビルばかりで驚いた。数少ない〝昔のまま〟の建物が「オールドキャピタル」と呼ばれる議事堂(写真下)。アイオワの州都は今はデモインだが、もとはその名のごとくアイオワシティが政治の中心地だった。建物内部は知事室、会議場などが保存されている。
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 以前にも大学病院、退役軍人病院、市民病院の大病院があったが、大学病院を建て替えた(写真下の左手)上、近年最先端を誇る小児科病院が新設され、医療従事者、入院患者の家族の住む所、通院患者の住む所等々が、町の中の大きな部分を占めている。写真の黄色いバスは運賃無料で大学構内を循環する、その名もキャンバス(cambus)。
09273  学生と医療関係者がほとんどというこの町の特長は、30年経ってますます濃く、拡大した。穏やかな、平和な暮らしぶりがうれしい。

2017年9月25日 (月)

デトロイト空港にて

 成田から11時間半、空の旅をして、米国ミシガン州デトロイト空港に降り立った。ものものしい地下の入国審査を経て、明るい構内へ。広大な空港の北ウイングと南ウイングをつなぐのに、建物内に電車が走っている。09251
 そのエクスプレス・トラムの駅の案内板に「次の…出発時間は○分後です」と日本語訳が添えてあった。日本人の利用客が多いというより、それを知りたがるせっかちな人種が日本人ということかしら。09252  
 最終目的地は、アメリカ中西部のアイオワ州アイオワシティ。ここから飛行機を乗り継いでアイオワのシーダーラピッド空港へ向かう。

2017年9月21日 (木)

秋の和食

 今日のお料理教室は秋らしい和食のメニュー。卯の花和え(写真左)に入れた鰯の脂の乗っていることに感心したが、先の台風の影響で、今回は大きな魚専門店に行っても魚の種類が少なかったとのこと。「秋刀魚はやせていてペティナイフみたいでした」と北川先生。乱獲のせいもあろうか。写真右は、南瓜と茄子の胡麻だれかけ。南瓜は含め煮、茄子とオクラは素揚げにし、赤味噌とオリゴ糖入りの胡麻だれをかける。
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 次は魚の甘辛煮。というより生姜煮といいたいほどの見た目である。大きな生姜の塊をせん切りにして炒め、酒、醤油、砂糖、たっぷりめの水を加えて半分近くになるまで煮詰める。その間に生姜の臭さがぬけて、味や香りのよさがしっかり出てくるのだとか。そこへ軽く焼いた魚の切り身を入れてさっと煮る。今日はサワラを使ったが、本来はスズキや太刀魚がお勧めとのこと。
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 かやくご飯と、大和芋とあおさのすまし汁。すまし汁は昆布と鰹節のほかに、梅干しの種を煮出して風味をつけた。大和芋はすりおろして、沸騰間近のおだしにスプーンでポトリと落とすと、ほどよくふわりと固まってくれる。
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 デザートには、ふっくらのカステラ。お土産にスダチを分けていただき、ああ、秋~♪

2017年9月19日 (火)

川柳仲間と連句の冊子

 川崎駅の地下商店街で5月に開かれた「笠着連句」(私も参加。5月27日のブログ参照)の記録が、おしゃれな1冊にまとめられた。ほぼA4判の20頁。表紙には「連句で遊ぼう」「一句付けてみませんか」のキャッチコピー。中を開くと「連句とは?」「三つの基本」に始まり、当日の表合八句が其の一から其の八まで、そして歌仙三六句の連句作品が、解説付きで紹介されている。季語研究会世話人の丁那さん、雀羅さんが執筆された、その解説がおもしろい。句の読み解き、つながりと展開、世界観などが、まるで短編小説のように味わえる。
 一昨日の季語研究会で手渡されたその冊子を、私に連句を紹介してくれた一歩さんのいる川柳「やまびこ」の集まりに、今日持参。披露したら「あら、すてき」「うわぁ、大人の遊びですね」「みんなで物語を作っていくんですって」「へえ、おもしろそう!」と話題になった。新しいことを軽やかに試す「やまびこ」のことだから、忘年会あたりの余興で〝川柳風〟連句に挑戦するかもしれない。
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2017年9月18日 (月)

テレビで「北斎の娘」

 夜、NHKドラマ『眩(くらら)~北斎の娘~』を観た。原作の、朝井まかて著『眩』を読んだことがある(2016年11月22日のこの欄参照)ので、楽しみにしていた。
 まず、とても美しい画面のドラマだった。北斎の家は紙屑だらけ、蜘蛛の巣だらけ、娘のお栄はあぐらをかき、長キセルをくわえる。およそ美しくない状況だが、それゆえ絵や絵具の鮮やかさが映える。素描の動物が命を得て動き出すCGも効果的だった。「光と影が、この世の色と形を作っているんだ」と気づくお栄を宮崎あおいが好演。北斎役の長塚京三もまさに鬼才、脳卒中で倒れたあと、「養生はもう飽きた」と再起するシーンが印象に残る。0918                   写真は(『眩~北斎の娘~』より)

 丁寧なカメラワークの1時間15分番組だった。台風の吹き荒れた連休を、上質なドラマが締めくくった。

2017年9月16日 (土)

「瞼の母」ストーリー(こぼれ話)

 ストーリーを紹介し終えたので、こぼれ話をいくつか。
 水熊の居間であれだけ忠太郎を拒否したおはまの、家を守るために隠していた情がお登世によって一気に噴き出る。役者の藤田さんはその二面性を鮮やかに演じた。「忠太郎~!」と名を呼び続けるラストにもらい泣きを誘われた人も多い。まさに当たり役だった。
 忠太郎の黒スーツ姿は、「最初はアレッと思ったけれど違和感はなかった」「廻し合羽に三度笠の出で立ちだったら〝ベタ〟すぎ」の感想も。
 演出の山下さんは、「講談との組み合わせはありそうでなかった。織音さんの話芸を間近に見て、日本の〝型〟のある表現っていいなぁと再認識した」とか。音楽監督の木村さんは、「言葉と音楽が即興でやりとりできて気持ちがよかった」と。木村さんには、早駕籠の「エッホ、エッホ…」の声も出していただいたが、「あれを自然に品よくできる人はなかなかいませんよ(笑)」と箏の稲葉さん。

0916  カーテンコールの写真を見るたびに、感謝が込み上げる。ご覧くださいました皆様、数々の応援を、本当にありがとうございました。
(終わり)

2017年9月15日 (金)

久し振りの着物

 着物で出かけた。本当に久し振りだ。5月になって単衣に変えようと思った矢先にもう暑くなって、以来ずっと封印状態だった。年々夏が長くなって、蒸し暑さが増して、ゲリラ豪雨の確率が上がって、単衣の出番が少なくなるばかりだ。
 今日は、無理をしなくてもまずまず涼しい顔で過ごせた。やはり、空気はもう秋。けれど、キョロキョロ見渡したにもかかわらず、日中、和服姿には一人も出会わなかった。出掛けた先が新宿だったせいか。
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2017年9月13日 (水)

老木の肌

 先回に続いて、今度は幹に取り付いた生命体の写真。玄関前の古い八重桜の幹が苔むして、白いカビのようなものもびっしり生えている。木肌の老化と思えば痛々しいが、長年生きていれば寛大な共存状態になるのかと感心もする。
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2017年9月11日 (月)

貼り付いたツタ

 群馬の家に来ている。涼しい曇りで草取りに最適の一日だった(苦笑)。地上に生えている雑草だけでなく、からみついて上へ横へと伸びるツタの類もある。キーウィの棚を支える角柱にきれいにツタが這っていた。09131
  垂直に平らに、壁を捉えている。まるで虫のごとき生命体が、足を使ってよじ登っているように見える。09133_2

2017年9月 8日 (金)

「瞼の母」ストーリー(9)

【後半第三場・荒川堤】「廻し合羽に三度笠、秋の夜更けの川べりを心淋しく忠太郎」の語りに続いて忠太郎が登場。跡をつけられていると気付き、浪人たちの水熊を乗っ取る魂胆を知る。関わるものかと思ったその時、「忠太郎兄さーん」「忠太郎やーい」と自分を探す声を聞く。驚く忠太郎、「どうか無事でいておくれ」「兄さんは信じられる人」と母妹が話すのを芒の陰で聞き、自分を思ってくれる人がいると知って感極まる。二人が別の場所へ移動した隙に、忠太郎は浪人達を追い、斬り倒す。
(第三場は私の脚色部分が多かった。忠太郎が水熊や母妹を守るために浪人と闘う場面では、「太刀と脇差しが火花を散らし、肩で息する二つの影が…」と、活弁のような語りも入れた)
 再び母妹が「忠太郎兄さーん」「忠太郎やーい」と探しに来る。だが忠太郎は芒の陰に身を隠したまま。
お登世「あんなに探したのにどこにもいないのね。縁がないってのは、こんなものなのかしらねえ」
おはま「あたしが、悪かったからだよ」
 二人のすすり泣きを遠くで聞き、忠太郎最後の名台詞。「俺あ厭だ、厭だ。誰が会ってやるものか。俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいっと考えてりゃあ、会わねえ昔のおっかさんの俤が出てくるんだ。それでいいんだ。会いたくなったら、俺あ眼をつぶろうよ」
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語り「前を過ぎ行く二挺の駕籠、じっと見送る忠太郎」
船頭唄(笛の木村さんが歌う)「降ろうが照ろうが風吹くままよ」
 母娘が去り、忠太郎が去って幕となる。

2017年9月 7日 (木)

浅草のあんみつ

 所用で浅草の合羽橋に出かけた。お茶を一服するところを探していたら、本願寺のすぐそばに格好の店を見つけた。創業百余年の乾物問屋「萬藤」(まんとう)。食材販売の店の半分をカフェにして、厳選素材のわらびもち、あんみつなどをメニューにしている。

09072  スペシャルあんみつを注文。寒天、パイナップルが星型にくりぬいてあってかわいい。赤えんどう豆が懐かしく、甘すぎず、オーソドックスで上品な一品だった。今日は雨で涼しかったので諦めたが、かき氷も魅力的。

09071  売っているのは、各地名産のふるさと食品、和洋菓子材料など。「野菜の価格高騰の昨今、乾物野菜はいかが?」との手作りポップを立て、お馴染みの切干大根以外にも、人参、ごぼう等のドライパックが並んでいる。常備食品の知恵を思い起こした。老舗の暖簾が壁に(写真)、また「貸すな借りるな判押すな」の書が目立つ場所に掲げてあった。イマドキのただのおしゃれなカフェではありませんぞ、と示しているよう。

 ブログを始めて2年と1カ月。今日は300本目の記事だった。

2017年9月 6日 (水)

「瞼の母」ストーリー(8)

【後半第二場・水熊の居間④】思わず「忠太郎さん、お待ち」と引き留めようとするおはまに、ここでまた名台詞。
忠太郎「自分ばかりが勝手次第に、母や妹を恋しがっても、そっちとこっちは立つ瀬が別っこ。俺も馬鹿よ、幼い時に別れた生みの母は、こう瞼の上下ぴったり合せ、思い出しゃあ絵で描くように見えてたものを、わざわざ骨を折って消してしまった。おかみさん、ごめんなさんせ」
 そこへ何も知らずに娘のお登世が登場、廊下で忠太郎とすれ違い、互いに「よく似てる」と独り言。断ち切るように立ち去る忠太郎。
 「おっかさん、今の男の人誰?」と訊ね、「兄さんなの。生きていたの!」と無邪気に喜ぶお登世に、「そうだよ!忠太郎が訪ねてきたんだよ!なのに私は…」と号泣する母。
(脚本で純真なお登世を強調した。娘のお登世(小野里桃子さん・写真左)の柔らかな心に、おはまは「堪忍しとくれ」と悔やむ。)
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おはま「おっかさんは薄情だった。始めのうちは騙りだと思って用心しちまって、そのうち家の身代に眼をつけたんだと疑って、終いにはお前の行く末に邪魔になると思い込んで突っぱねて帰してしまったんだよう」
お登世「そんな! 兄さん、哀しい目をしてた。すぐに呼び戻してあげて」
おはま「そうだね。どんなことをしても、もう一度母子三人で会わなければ」
 そこへ忠太郎を強請りと思った板前が、浪人者を雇って襲わせることにしたと告げる。驚くおはま、自分で追いかけると早駕籠を二挺呼ぶ。
(つづく)

2017年9月 4日 (月)

9月の雑句ばらん

 川柳グループ「雑句ばらん」では、課題吟の互選と批評、鑑賞のほかに、代表の佐藤孔亮氏が昨今の川柳界に関してトピックスを披露してくれる。今日は、びっしり入力された2017年の川柳大会一覧表、その選者一覧表(写真)をもらって、その話。こんなに大会が開催されているのかと一目でわかって興味深かった。そして、菊地良雄氏の近著『男の脱衣籠』にいい句が目白押しだったことから、孔亮氏が「私の好きな三十句」「次に好きな百三十五句」を、これまた全部びっしりと入力、印字して配布。感動を分けていただいてありがたかった。頭が下がる思いである。
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 今日の課題は、「へっぴり腰」。着ぐるみを脱いだとたんに腰が引け (のりこ) は、ゆるキャラ役の人が着ぐるみを着ている間は人懐こく愛敬を振りまくが、脱ぐやいなや本来の弱気に戻ってしまう、という状況を詠んでみたのだが、「着ぐるみ」が「鎧」や「肩書き」とも読めておもしろい、と鑑賞していただいた。

2017年9月 3日 (日)

「瞼の母」ストーリー(7)

【後半第二場・水熊の居間③】ここで唄「巡り逢ったも仇夢か、逢わぬ昔が懐かしい」が流れる。そして…
おはま「忠太郎さん、もし私が母親だといったら、お前さんどうおしだ」
(初めて〝忠太郎さん〟と呼んだ。おはまの気持ちが歩み寄ったと見られるが、これはかなりずるい質問である)
忠太郎「それを訊いてどうする。あっしには判ってる。小三十年も前の事ぁ、とうに忘れた夢なんだろう」
(ここでもし忠太郎が再び〝おっかさん〟とすがりついていたら、違った展開になったかもしれない。しかしもはや、忠太郎は冷めている)
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 百両を懐に戻し、去る気になった忠太郎。
忠太郎 「親といい、子というものは、こんな風でいいものか」
おはま「それほどよく得心しているのなら、早く帰っておくれでないか」
忠太郎「近い者ほど可愛くて、遠く離れりゃ疎くなるのが人情なのか」
おはま「女親は我が子を思わずにいるものかね。だがね、我が子にもよりけりだ。親を尋ねるのなら、なぜ堅気になっていないのだえ」
(売り言葉に買い言葉、ついに最も忠太郎を傷つける言葉を言ってしまう)
忠太郎「おかみさん。そのお指図は辞退すらあ。親に離れた小僧っ子がぐれたを叱るは少し無理。ヤクザ渡世の古沼へ足も脛まで突っ込んで、何の今更堅気になれよう。よし、堅気で辛抱したとて喜んでくれる人でもあることか、裸一貫たった一人じゃござんせんか。ハハハ…、ままよ。二度と忠太郎は参りゃしません」
(痛みを堪えながら、百に一つの愛を乞い、そんな自分を笑ってもいる忠太郎のこの台詞は、役者が一番苦労したという)
(つづく)

2017年9月 2日 (土)

「瞼の母」ストーリー(6)

【後半第二場・水熊の居間②】おはまに金の無心を疑われた忠太郎、金には困っていないと胴巻から百両を取り出して見せる。
忠太郎「顔も知らねえ母親がもし貧乏に苦しんででもいるのだったら、手土産代りと心がけ、この百両は永えこと抱いて温めて来たのでござんす。見れば立派な料理茶屋の女主人、金が溜っているだけに、現在の子を捉まえても疑ってみる気になりてえのか、おっかさん、そりゃあ怨みだ」
おはま「怨むのはこっちの方だ。娘をたよりに楽しみに暮らしているところに、とんでもない男が出て来て、忠太郎は生きています、私ですと…。お前は忠太郎と名乗って、お登世に譲る水熊の身代を貰う魂胆なんだ」
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 あまりの言葉に咽び泣く忠太郎。涙をはらうと最後の駄目を押す。
忠太郎「おかみさんの子の忠太郎は、あっしじゃねえと仰るのですね」
おはま「そうだよ。私にゃ男の子があったが永い間死んだと思って来たのだから、今更その子が生き返って来ても嬉しいとは思えないんだよ」
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(おはまと忠太郎がバトルを展開するこの場面は原作のまま、脚色は加えていない。二人は動きもなくすわったまま、表情と声の変化で心の中を表す。ラジオドラマとは違って、やはり見るのが楽しい「劇」である)
(つづく)

2017年9月 1日 (金)

「瞼の母」ストーリー(5)

【後半第二場・水熊の居間①】語り、唄に続いて水熊の女将おはま(藤田恵子さん・写真右)登場、自慢の娘の花嫁衣装を見ながら、苦労の甲斐があったと寛ぐ。そこへ見知らぬ男が来たとの騒ぎ。男勝りのおはま、自分がとっちめてやるから居間へ通すように言う。
 下手に出て来た忠太郎、勇を鼓して「おかみさんはもしや、あっしぐらいの年頃の男の子を持った憶えはござんせんか」と訊く。憶えはあっても忠太郎の風采に危惧を感じて打算の働くおはま、「おっかさん!」と呼ぶ忠太郎を拒絶する。

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おはま「私には生き別れをした子はあったが、今ではもう亡くなった」
忠太郎「五つの時に縁が切れてもう三十年。その間生き死にさえ知れずにいたから、そんな子はねえという気になっているんでござんすか」
 驚きながらも、相手を思いやる忠太郎。おはまが嫁ぎ先と縁が切れた時のことを語ると「罪は身持ちのよくなかった親父にある」と取り成し、「自分の子は九つの時、流行病で死んだ筈」と言えば「病にはかかったが、死んだというのは間違いです」と訴える。

 (ようやく巡り会えたと嬉しくてたまらない忠太郎。母を思って、素直に言えばいうほど、柔らかくなればなるほど、おはまはピシャリとはねつけるのである。忠太郎がかわいそう…、ここでは観客の同情は100%忠太郎に集まる)
 さらに、「お前、そんな手で這い込みはしないがいい」と、おはまに金の無心を疑われてしまう。
(つづく)

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