着物

2017年9月15日 (金)

久し振りの着物

 着物で出かけた。本当に久し振りだ。5月になって単衣に変えようと思った矢先にもう暑くなって、以来ずっと封印状態だった。年々夏が長くなって、蒸し暑さが増して、ゲリラ豪雨の確率が上がって、単衣の出番が少なくなるばかりだ。
 今日は、無理をしなくてもまずまず涼しい顔で過ごせた。やはり、空気はもう秋。けれど、キョロキョロ見渡したにもかかわらず、日中、和服姿には一人も出会わなかった。出掛けた先が新宿だったせいか。
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2017年4月 5日 (水)

桜と共に朗読練習スタート

 朗読劇「瞼の母」の練習日。登場人物は、番場の忠太郎、水熊のおはま、おはまの娘お登世、知人のおとらの4人。お登世役のM子さんも今日から参加、若いみずみずしい声が加わって嬉しい。演出の山下晃彦さんの指導のもと、皆で意見を出しながら人物像を作っていく。短い中に情のこもった会話のキャッチボールが続くなか、「お前」は「おまえ」か「おめえ」かと忠太郎が何度か試し、「家」は「いえ」か「うち」かとこれも試す。小さな一言にも感触を聞き分ける耳と心の訓練である。
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 外は桜が真っ盛り。着物の半衿はこれまで無地を決め込んでいたが、桜につられて今日初めて花柄にしてみた。
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2017年1月27日 (金)

きもの病院

 着物を着るようになって丸5年経った。その間に、急な雨をしのぐコートや草履、気軽に居酒屋にも着て行けるデニムの着物、真冬用のコートや足袋など、徐々に揃えたので、今ではよほどの大雪や台風でない限り、着物で外出できるようになった。
 加えて、着物ライフの心強い味方となっているのが、自転車で10分ちょっとの所にある「きもの病院」である。呉服店の一方、シミ抜き、汗とり、丈直し、裾の傷み等々、何でも〝治療〟してくれる。年齢の近いご夫婦が営んでいるので、処方箋に限らず着物に関することが気軽に質問でき、おしゃべりも楽しく、おおいに助かっている。
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 今日は3月並みの気温になると聞き、ちょっと春らしい色を着て出かけた。風が強かったけれど、体を強ばらせなくてすむ南風。立春ももうすぐだ。
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2017年1月11日 (水)

「白洲正子ときもの」展

 銀座松屋で開催中の「白洲正子ときもの」展を見に行った。開店直後は比較的すいていたが、1時間もすると中高年のご婦人で会場はいっぱい、男性には私は一人もお目にかからなかった。
 着物は左右の裄を水平にパイプに通して広げ、背の側から展示。思った以上に一枚の面積が大きく、バックの黒に映えて見応えがあった。ところどころに、着物と帯を着付けたボディも立っていて、「洋服の場合は型と生地が主ですが、きものには調和の面白さがあります」と白洲さんの言。
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 46歳のとき、銀座で染織工芸の店「こうげい」を始め、紬や木綿絣を好まれた。琉球絣にインカ風柄半巾帯、久米島絣にアラベスク柄帯、水鳥文着物にイカット柄半巾帯など、斬新、独特な組み合わせは、目を惹きつけてやまない。「どんな豪華な衣装でもぴったり身についてふだん着のように見えればしめたもの。そういうことを〝着こなし〟というのです」だそうだ。
 白洲次郎さんの結城紬の羽織裏に見事な虎の縞が描かれていたこと、正子さんの短歌をしたためた「詠草」のふっくらと優しい筆跡も忘れられない。
01112  会場を出た所に、さっそく着物や和装小物の販売店がずらり。帯結びの実演コーナーに人だかりができていた。〝新春ギンザの「和」めぐり〟の企画がこのきもの展とタイアップし、呉服、香、和菓子などの店でサービスがあるとか。16日まで、銀座の散策が華やぐことだろう。

2016年11月 5日 (土)

図書館で朗読会

 光が丘図書館で「わたしの好きな星野道夫」と題して朗読会が行われ、主催した「図書館利用者の会」の一員として、私も朗読することになった。選んだのは、『旅をする木』(文春文庫)から「もうひとつの時間」。都会でせわしく暮らす同じ瞬間、北海道のヒグマが倒木を乗り越え、アラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない。そういった〝もうひとつの時間〟が確実に流れていることを意識できるかどうか、その差は実に大きいというメッセージである。そのほか手紙形式のエッセイや池澤夏樹の解説など、示唆に富む文章が詰まった一冊だ。11052
 数人が朗読した後、輪になってトークのひととき。アラスカに行ったことのある方、国語の先生だった方、ブックトークを手掛けた方…等々、それぞれが星野氏への想いを語った。星・野・道・夫という名前自体が彼の人生を示しているようで、これがペンネームでなく本名なのも、気づいてみれば不思議である。11051_2
 紅葉の季節になり、今日の着物はこの組み合わせ。並木の銀杏が一部この帯の色になっていた。11053

2016年7月 7日 (木)

朝顔川柳句会

 朝顔市に湧く台東区・入谷で、恒例の朝顔川柳句会が開かれた。150人を超える参加があり、「お久しぶり!」な方との再会の場ともなっている。
 吉住義之助氏による現代都々逸についての講演で幕開け、三味線にのせた都々逸入選句の披露もあって、コトバのリズムの心地よさを思った。
  川柳の題と選者は、「人情」原光生選、「豊か」二宮茂男選、「彩る」渡辺梢選、「絆」米島暁子選、「伝統」江畑哲男選、「躍る」尾藤一泉選、「台東区」内田博柳謝選。三才、五客、ユーモア賞、初声(1句目)賞、謝選入賞には景品(浅草満寿屋の一言箋)が付く。私も2ついただいた。大きな句会は、披講(入選句の読み上げ)を耳で鑑賞するのが愉しい。没句となった自作も、類想の入選句の着眼点の確かさを感じると諦めがつく(苦笑)。
 ステージには写真の垂れ幕の他に、咲き盛る朝顔の二鉢と「入谷朝顔市」の幟旗が立っていた。07071 句会参加者には朝顔一鉢がプレゼントされる。入谷は、駅構内にも、道路にも、このデザインの朝顔が埋め込まれ、まさに朝顔の街だ。07072
 猛暑にたじろいだが、和服を着て行った。炎天下だけ辛抱すれば、冷房の効いた場所ならちょうどよい。綿の絽なので、自分で洗濯できる。07073_2

2016年6月 3日 (金)

ゲーラ氏のピアノリサイタル

 ラファエル・ゲーラ氏は、メキシコ・アメリカで活躍するピアニスト。彼を師とする友人の紹介でリサイタルに出かけるようになり、3回目の今日は「3:2 Sesquialteras(セスクィアルテラ)」がテーマとして掲げられていた。これは、ギリシャ語の「Hemiaola(ヘミオラ)」とともに、3:2のリズムを表す言葉で、例えば右手は3拍子、左手は2拍子、のような曲を集めたという。

 プログラムは、スペイン出身のファリャとグラナドス、アルゼンチンのヒナステラ作曲による舞曲が多かった。3:2のリズムは、躍動感、エキサイティング、力強さ、奔放、先の読めないワクワク感…があり、未知のワンダーランドに誘い込まれた心地がした。
 ゲーラ氏の演奏は実にエネルギッシュで素晴らしく、弾き終わるごとに、客席から感嘆のため息が聞こえた。0603pi

 6月になったので半衿、帯上げなど夏仕様に。0603ki
 この単衣の小紋は、亡き姑から譲られたもので、〝東海道五十三次〟の文字や旅姿、茶店と客のようすなどが模様のように型染めしてある。単衣の季節になるのを待ってましたとばかりに着る1枚。

2016年5月19日 (木)

「古月」で会食

 月に一度のお料理教室では、ときどき番外編で、美味の研究と称してランチに出かける。今日のお店は、上野・池の端にある「古月」。
 写真のように、アプローチは和風だけれど、中国料理の店である。屋内は畳の個室にテーブルと椅子の設えで、食器や盛り付けはフランス料理を思わせた。メニューは、前菜盛り合わせ、牛肉の香り炒め、五目フカヒレスープ、冬瓜と小海老の煮物、麺、デザート。季節の野菜を生かした、やさしい、繊細な、美しい食事を堪能した。デザートの、パイナップルのチーズケーキも斬新だった。

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 五月晴れの今日は、単衣のかつお縞に、初めて舟底の下駄を履いて出かけた。裏にゴムが貼ってあるから「カラコロ」とは鳴らないが、「シャラショロ」ぐらいの音はする。草履より底が厚く、背も高くなる。なかなか気分のよい履き心地だった。
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 話は違うが、木曜時代劇の「鼠、江戸を疾る」で、滝沢秀明扮する次郎吉が、いつも粋な縞の着物を着ている。今日の放送では、青系統やモノトーンの縞を4~5種類披露してくれた。こんな視聴者サービスは大歓迎だ。

2016年5月 7日 (土)

着物の整理

 5月になって、着物を袷(あわせ)から単(ひとえ)に替えるべく、整理した。いわゆる衣更えは6月だが、昨今は異常気象で夏が早いから、5月に単を着始め、襦袢など4月のうちから単にしている。「○月」より気温に応じて選びたい気もするが、着物は季節感と連動しているので、暑さ寒さは襦袢その他で調節するしかない。単のかつお縞は、やはり5月を待って着るのがいい。

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 着物は極力増やさないようにしているのに、引き出しからあふれてくる(つまり増やしているのだ!)。近所の呉服屋さんが「不要着物、引き取ります」のイベントをしていたので、思いきって10点減らした。古い銘仙(写真)や祖母から譲られた着物で、いずれも丈が足りなくて着られない。小柄な方が用いてくださるといいなと願っている。

2016年4月18日 (月)

「カン違い」なエッセイ

 カフェ・チャイハナにて、エッセイクラブの例会。「勘違い」をテーマに11人の作品を講評し合った。

 勘違いとは何か。「よく考えた上での〝考え違い〟や〝判断の間違い〟ではなく、瞬間的な勘の狂いや思い違いを指すのではないか」とA氏。作品を読んでいて、この場合は「勘違い」ではなく「心得違い」なのでは? 「単なるうっかりミス」なのでは?  「錯覚」なのでは?と指摘される箇所もあり、似ているようで違う、なかなか扱いの難しいテーマだった。どうもカン違いにはユーモラスなイメージがあり、くすっと笑えるエピソードがあると成功するようだ。
 書くことは頭を整理すること、掃除すること。まとまらないから書けないのではなく、まとめるために書く。書いているうちに、もやもやが晴れたり、新たな発見を得たりする。だからやめられない。そして、これが一番だいじなのだが、読んで感想を言ってくれる人がいるのは、ありがたいことだとあらためて思う。

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 雨が降りそうだったので、デニムの着物で出かけた。これだと少々濡れても汚れても気にならない。幸い、雨に遭わずにすんだけれど。

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