見たこと聞いたこと

2018年4月23日 (月)

2018年4月 1日 (日)

明窓浄机の助っ人

 川柳の新年会で、くじ引きの川柳付きプレゼント交換があり、今年はこれを引き当てた。「散らかったままで頭は働かぬ」の川柳を見た時点では、掃除道具の類を想像したが、包みから出てきたのは長いジッパーの付いたペンケース。開くと平らなトレイ状態になり、中身がよく見える。小さな文房具は使っていると机の上ですぐに行方不明になるが、これなら戻しやすいから探し物のストレスも減る。持ち運びするのに、黒っぽいバッグの内側で、ケースの蛍光色はよく目立ってくれる。閉じるとジッパーの端が持ち手になり、ボトルと同じように立てて収納できるのもいい。0401
 今日から新年度。Rさんからの川柳を座右の銘として、まずは机まわりをすっきりさせ、「頭の働く」環境を作ろう♪

2018年3月28日 (水)

近所で花見

 あっという間に桜が満開になった。午前9時、近くの光が丘公園を散歩。まだ人影は少なかったが、その後どんどん人が集まったことだろう。広場の桜は下方の枝が横に広がっているからいい。自宅近くの径の桜並木は年々背が高くなり、上を向いて歩かなければ花見ができない。
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 歩道橋のプランターにはパンジーが花盛り。花弁の模様がどうも笑っている人の顔に見える。
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2018年3月23日 (金)

小布施の北斎

 信州にスキーに行った帰り、小布施に寄った。小布施といえば今や「栗」と「北斎」である。葛飾北斎の美術館は、生涯の大半を過ごした東京墨田区に2016年11月にオープン、私も訪ねたことがある(同年11月22日、12月11日のこの欄に掲載)。そこでの展示物の多くは浮世絵や版画だったが、晩年の北斎はここ小布施で肉筆画に力を注いだ。小布施の豪農・豪商だった高井鴻山が、当時北信濃の経済の中心地として栄えたこの地に北斎を招いたのである。精神的にも経済的にも安定した環境を得て、北斎は小布施で多くの名作を残した。昭和51年、町の中心部に建てられた「北斎館」は近年リニューアルされ、北斎の肉筆画を中心に、鴻山に請われて描いた祭屋台の天井絵も展示されている。

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 江戸から小布施まで240km。北斎が小布施を初めて訪ねたのは83歳のときだった。以後80代で4回も歩いて往復したとは、画狂人の健脚に驚く。小布施での逗留はどんなに心惹かれるものだったろう。03232
 北斎館では3月26日まで「究極の富士図ー富嶽百景の世界」の特別展を開催。外国人のツアー客も訪れていた。有名な色刷りの「富嶽三十六景」に対して「富嶽百景」は白黒の版本の三冊で、掲載された102点の中から今回は厳選した40点を展示。田の面の大きな逆さ富士、番傘職人が広げて干した傘の隙間から見える富士、手に包む盃に映った富士等々、奇抜な取り合わせ、大胆な構図、思いがけない瞬間を捉えた作品の数々だった。見入りながら、川柳を作るときにもこんな発想ができたら、と心から憧れた。

03234  小布施の町は、栗の和菓子店、栗ご飯の食事処、栗ジャムの土産物店等が軒を連ねる。上の写真は創業260年の枡一市村酒造場。松の左の入口を入ると、名物モンブランのカフェがある。

2018年3月11日 (日)

3.11の裏磐梯

 週末、裏磐梯へ長男家族とスキーにやって来た。4歳の孫息子は今回初めてスキー靴を履いた。思えば長男が初めてスキーをしたのも4歳で裏磐梯だった。東京から300km弱、あたりのスキー場は雪質がよく、コースも変化に富んでおもしろい。今回はグランデコスキーリゾートで滑った。平昌五輪への熱も尾を引いてか、なかなかの賑わいだった。
 3月11日の今朝はよく晴れて、ホテルの窓から磐梯山がくっきり見えた。03111

 7年前の大震災の直後、多くのホテルが被災者の方々の受け入れ先となった。娯楽の自粛ムードが広まる中、約1カ月後にスキー場を再開すると初日に約500人が来場、どんな状況でも人にはレジャーが必要と実感した、との話を現場の友人から聞いた。
03112 原子力発電所の事故をどのように収拾するのか。こちらは人災である。福島の、日本の負うべき長い長い道のりを想う。

2018年2月24日 (土)

大阪の繁昌亭

 所用で大阪へ。空き時間に大阪らしいところに行こうと、夜の天満天神繁昌亭へ足を伸ばした。2006年9月、61年ぶりに復活した上方落語の定席である。JR「大阪天満宮」駅から徒歩3分、建設に尽力した道すがらの天神橋商店街には「笑門来福・千客万来」の幟がずらりとはためく。この日の出し物は、「月亭八光セレクション-これでどうだ!」の2回目。東京では落語がブームになっているが大阪では漫才が主流、大阪にももっと落語を!と八光が呼びかけて始まったのだとか。その八光がインフルエンザでジミー大西が代理出演というハプニングはあったものの、桂華紋、笑福亭鶴笑、桂三度、桂かい枝の4人の上方落語は大層おもしろかった。
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 落語に馴染みの薄いお客さんへのガイドなのだろう、上方落語では見台や膝隠しが置いてあること、小拍子(小さな拍子木)はこんなふうに使いますと紹介があり、大阪の地名にちなんだ演目だったり、マクラに英語で小噺を入れたり、なかなかのサービスぶりだった。「大阪の人やったら隣りの人と膝叩き合うて笑い転げますやろ。東京の人は笑いたいのに堪えはりますねん」などと東西比較のくすぐりも(笑)。
02242  座席数は2階も併せて216席、いいサイズである。寄付をした人の名入り提灯の数は建物の内外に1500、かなりの迫力だ。

2018年2月19日 (月)

さすが二条城

 京都の二日目。世界遺産の二条城に行った。さすが別格である。葵の紋と菊の紋がどのように施されているかを見るだけでもおもしろい。大政奉還から150年、大広間には重臣を集めて意見をきく場面が人形で再現されていた。歴史は別としても、書院造の設え、障壁画、天井、欄間等々、すべて誇らしい。
 写真は唐門(重要文化財)。あまりの美しさに見ていると日が暮れるから別名・日暮門。0219

2018年2月18日 (日)

京都の東寺

 所用で京都へ。京都駅から徒歩圏内にある「東寺」へ行った。国宝の五重塔は高さ55m、日本古塔で最も高い。内部の心柱を囲む四仏坐像が今、特別展として公開されており、四方向の扉から金網越しではあるが、天井、壁まで見渡せた。地震で倒壊したことはないという塔身の柔構造に改めて驚く。

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 それから、東寺の庭に「小野道風ゆかりの柳」があった。平安時代の能書家・道風が若い頃、蛙が柳に飛びつこうとしているのを見て、どうせ無理と眺めていると、ついに成功。努力すれば道は開けると悟ったというあの話は知っていたが、舞台がこことは知らなかった。柳の下の池の石に実物大の彫った蛙が乗っていた。

2018年1月31日 (水)

皆既月食2018

 速報! 皆既月食を見た。テレビのニュースで「そろそろですね」を聞き、わが家のベランダに出て、ほぼ真上を見上げたら、おお、始まっている! この写真は午後9時55分、三脚もなしに夫が撮影してくれた。何とも不思議な赤色である。生命体が宿っている細胞のようにも見える。

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 月が地球に接近した際に見える「スーパームーン」+1カ月に2回満月になる「ブルームーン」+皆既月食で赤く見える「ブラッドムーン」で、特別な35年ぶりの「スーパーブルーブラッドムーン」である。 〝月〟のイメージが広がった。

2018年1月22日 (月)

襲名披露と『国宝』

 先日、東銀座の歌舞伎座ギャラリーを見学に行ったら、歌舞伎の小道具や和楽器などの親しみやすい展示に続いて、三代同時襲名に沸く高麗屋の松本白鸚さん、松本幸四郎さん、市川染五郎さんの記念特別展(1/2~2/25)が開催されていた。それほど熱心なファンではない私でも、魅力溢れるお三方の存在はこの国の財産であると拍手せずにはいられない。

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 歌舞伎に生きる喜久雄、俊介を描く朝日新聞の連載小説『国宝』(吉田修一・作)を楽しみに読んでいる。昨年1月1日から始まったこの物語、第15章「韃靼の夢」で俊介と息子一豊の丹波屋二代同時襲名披露に至る。25話の昨日はその口上で、俊介が自分の親不孝を悔い、出奔したどん底時代に幼い長男を亡くしたのは弱い父親だった自分が殺したのだ、と声を絞り出し、「初日の今日だけはあの子も一緒に、三人でこの襲名披露を勤めさせていただきたい」と続ける。芸事の精進の裏にどれほどどろどろと人間の業が渦巻いているか、この小説は舞台の進行役のような語り口と、状況描写の上手さで惹きつける。時期を同じくして高麗屋さんの慶事、重ねて感じ入ったのは私だけではないだろう。
 今朝の新聞では新しい章「巨星墜つ」が始まり、襲名披露から3年が過ぎていた。喜久雄と俊介の今後に、ますます目が離せない。

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